図窮国見 〜3日目〜

今日はいよいよ秦の兵馬俑坑へ行く。ここは市街からちょっと離れているので、早めの出発となった。朝はホテルの近くで肉挟[食莫]を買い、半分ずつ食べた。ホテルに戻り、レストランでジュースだけ飲んで集合場所へ向かう。時間ギリギリにバスに乗り、すでに「ギリギリガールの二人」という認識が、参加者の中には出来上がっているようだ。
とりあえず、8時に出発し、東郊外にある
兵馬俑坑に向かった。ここではまず、陳列館で銅の車馬を見学する。1/2に縮小された馬車と馬、そして人の姿は精巧で、当時の技術の高さがうかがえる。しかも、大きさが小さいだけで、実際のものと全く同じ構造の銅車馬は、実際に動かすことのできる完璧な実用品でもあるのだ。こんなものを大真面目に作らせた始皇帝とはどんな人間だったのだろうか。
続いて、現在発掘作業が進められている2号坑を参観。ここは、内部保護のため撮影禁止。でも、その分じっくりと見ることができた。手前はすでに、降り積もった土砂を取り除いた兵馬俑が散らばっていて、奥の方は兵馬俑を覆っていた丸木の屋根がその形のままで残っている。これからこれら全てを発掘し、全てにナンバーを振り、最終的には全てを元の形に復元して、もとあった場所へと安置し直すのだ。まだまだ5年はかかるという。ならば5年後にまた来てみなければなるまい。
次は最大の兵馬俑坑である1号坑を訪れる。一歩中に入れば、そこには兵馬俑がずらりと奥まで並んでいる。その面積の広さと壮大さは、当時の始皇帝の権力がどれほど大きかったかをはっきりと示している。兵馬俑は実際の人間や馬よりも若干大きく作られていて、兵のお腹もでっぷりと貫禄がついている。その顔もさまざまで一つとして同じものはなく、それぞれの頭部を見ればどんな民族の出身者かが分かる。しかし、何を考えてこんな空恐ろしいものを作らせたのだろう。作業に携わった労働者たちのことを思うと、クラクラしてくる。
最後は一番小さい3号坑へ。ここは司令室を模した構造となっていて、他の坑とは様相が異なっている。しかしながら、これ以上の発掘は無理ということで、兵馬俑が散らばったままで保存されている。
当然そのあとはお土産タイム。ここの目玉は、兵馬俑のカタログを買うと、この場所を発見した楊さんのサインが付いてくるというものだ。カタログは150元、これを持って横に座っている楊さんのところへ行くと、もう70歳になった彼がサラサラと墨でサインをしてくれるのだ。彼は地元の農民で、井戸を掘ろうとしたところ、何かのかけらを発見した。「もしやこれはこの地に伝わる始皇帝の墓の伝説のアレでは?」と気付いた彼が政府に申し出、そこから兵馬俑坑が発見されたというのだ。その楊さんは毎日ここでサインを書きつづけている。非常に微妙な存在である。もちろん私はサインはもらわなかったけど。
兵馬俑坑を後にしてバスに戻る途中、お土産売りがしつこく追いかけてきた。私達は後ろの方を歩いていたが、もうすぐそこがバス、というところで気のいいおじさん(この人は全体的にいつもボンヤリした感じの人だ)がとうとうカモになってしまった。エンちゃんが、売りつけてきた若い兄ちゃんと激しく言葉を戦わせているところに私も戻り、兄ちゃんの腕をつかんで「ついて来い」と引っ張った。最終的にはモノを引っ手繰るようにして(すでに金は払ってあった)奪い、バスへと戻った。すでにギリギリガールの私達、「また最後になっちゃった〜、すみませ〜ん」と言いながら戻ると、みんなはあたたかい目で見てくれた。すでに私達は添乗員(トラブル処理班)となったようである。カモになったおじさんは席に戻ると奥さんに「あなたがそんなもの買うからいけないのよ!」と怒られていた。まあ、私も同感ではあったが。
続いて近くにある
華清池へ。ここは玄宗皇帝と楊貴妃のお風呂がある。つまり、温泉地なのだ。皇帝と楊貴妃のそれぞれのお風呂を見学し、ついでに5角払って、温泉の湯に手を浸す。ほんのり温かい43度のお湯は気持ちよかった。これで楊貴妃のような肌になれるのなら儲けものである。すでに添乗員となった我々は、他のツアー客から歴史や文物についてさまざまな質問を受ける。そんなこと、私達だってわかんないってば。(^^; 中には「西安には毎年どのくらいの観光客が来るんですか?」と勘違いも甚だしい質問をしてくるおじさんもいたが、奥さんに「そんなこと、地元の方じゃないんだからわからないわよ」とたしなめられていた。当然である。
そして遠くに秦の
始皇帝陵を望みながら市街へ戻り、万年飯店で麺料理の昼食。このツアー、麺料理なら麺だけ、包子食べ放題なら包子だけ出るのかと思ったらそうではなく、コース料理の1つとして出るのだ。ここの名物「油撥麺」はなかなかおいしくて、あっという間に器は空っぽに。でもさあ、また麻婆豆腐が出ちゃってる。1日目の夜、2日目の昼と夜(私達は夜はパスした)、3日目の昼にそれぞれ麻婆豆腐が出るのはやりすぎである。全部違うホテルのレストランなので、日本人向けということでどこも麻婆豆腐をメニューに入れたらしい。みんなは麻婆豆腐に飽き飽きしていた。
さて、昼食後はまたまたお買い物タ〜イム! どうせ私は買えやしないので、ぶらぶらと骨董品や翡翠を見てまわるだけだったけど。
その後、
西安碑林博物館を見学する。ここには、話にしか聞いたことのない「石経」があるのだ。石経というのは、唐の時代の一番正式な経書で、紙や木ではなく、石に彫られたものなのだ。石に彫ることで火災による焼失や改ざんを防ぐことができる。学生の頃、その話を聞いて「いつかそれを見ることができるのだろうか」と漠然と思いを馳せていたが、今日実際にそれを目の当たりにした。石に一字一字丁寧に彫られた十三経。論語、孟子、毛詩(詩經)、周易(易經)、周禮、儀禮、禮記、尚書、春秋左氏傳、春秋公羊傳、春秋穀梁傳、爾雅、孝經の文字を一つずつたどっていくと、大学やその後に勉強したことが何となく思い出されくる。さすがに昔専門で勉強していただけあって、文章の一部を見ると、それが何の経書なのかパッと思い浮かぶ。非常に渋いが、これが私の青春の一つであったのだ。もっと一つずつゆっくりと見たかったが、すでに時間がない。いつだってギリギリガールの私達。私が目をウルウルさせながら青春と対話している間、エンちゃんは拓本を値切って購入していた。
碑林の見学を終えると、その横にある
古文化街の散策。ここでは怪しげな骨董品や、ガラクタを沢山扱っている。ちょっとした土産物なども露店に並んでいるので、ここなら貧乏な私にも手が出る値段である。ここで私はこの地方に伝わる楽器(卵形の笛)を購入。1時間ほど通りをブラブラし、ついでに焼きいもと糖葫蘆を買って、歩きながら食べた。
そして夜は西安名物の餃子宴である。老舗の
徳発長の門をくぐり、いよいよ餃子尽くしの夕食が始まった。アヒルの形のアヒル餃子、白菜の形の野菜餃子、エビの形のエビ餃子……15種類を超える餃子の数々に、ため息が漏れる。「うわぁ、かわいい〜!」「魚の形になってる〜〜〜っ」「きゃぁ〜、ホントにクルミの形をしてるよ〜♪」などと大騒ぎの私達と、それを冷静に見つめる人々。それでも、私達が料理やそれぞれの餃子について説明をしていたせいか、私達のテーブルは全て完食。隣りのテーブルは大量に残った餃子をもてあましており、それが我々のテーブルにも回ってきた。私もこれを片付けるお手伝いをして(15個以上食べた)、いよいよ最後の真珠餃子スープの登場である。小さな餃子の入ったスープを無造作に取りわける店員。店員によれば、「餃子が1個入っていたらいいことがあります。2個入っていたらもっといいことがあります。3個入っていたら何もかもがうまく行き、4個入っていたらお金持ちになれます。でも、1個も入っていなかったら、もう一度餃子を食べに来てくださいね」ということだった。私のお椀には1個、そしてエンちゃんのお椀には、なんと3個も入っていた。
食事が終わると、店の横の通りの夜市(屋台)を簡単に散策し、バスへと戻った。相変わらず最後となってしまった私達は、またまた糖葫蘆を手に持っていたので、バスのみんなから「また食べてる〜〜〜」と言われてしまった。一旦ホテルに戻り、解散したあと、私達はガイドの金さんと一緒に足底マッサージへと出かけた。西安賓館の夏宮というマッサージ店で、ツアー客は160元なのだけれど、金さんの友人ということで一人50元にしてもらえた。ここでマッサージを受けながらも金さんは、ツアー客から預かったパスポートと航空券を確認したりして仕事をしていた。本当にお疲れ様である。今回の旅は本当に金さんにお世話になった。普通、ツアーガイドというと、土産物屋とグルになって客をだましたり、自分の与えられた仕事だけしてあとは知らん顔しているものだが、金さんは実に親身になって単なるガイド以上の働きをしてくれた。本当に彼女には感謝である。
ホテルに戻り、スーツケースに荷物を詰めたりしているうちに、あっという間に1時半。では、おやすみ。
(旅行中につけていた日記に加筆・修正したものです。なお、タイトルの「図窮国見」は“図窮匕見=秦王刺殺の命を帯びた荊軻が地図を広げると匕首が現れた、つまり最終段階で真相がわかるという意味”をもじったものです)


朝の国旗掲揚。
ホテルの前庭にて。


朝市で売られていたサトウキビ。
店のおじさんは長春の出身だという。


軟らかく煮込んだ牛肉。
これを叩いて潰し、
焼きパンのようなものに挟んでくれる。


広大な兵馬俑坑・1号坑。


人の顔は全て異なる。
この2人は回族らしい。


積み重なったレンガ。
それも今は廃墟の様相。


3号坑はこれ以上の復元は不可能。
壊れた兵馬俑が散らばっていた。


遠くに見える始皇帝陵。
登ると結構時間がかかるらしい。


華清池は温泉地。
専用の温泉があるなんて優雅の極み。


これが楊貴妃専用のお風呂。
撮ったあとで「撮影禁止」の文字に気付いた。


勢いよく噴出す温泉。
5角払えば手を浸すことができる。
この湯をかければ肌がきれいになるという。


300万元(約3900万円)の置物。


西安碑林を歩く。


膨大な石経のなかから
ようやく見つけた「毛詩(詩経)」。
学生の頃、一生懸命読みました。


古文化街の散策。
これが一番楽しかったかも。


色とりどりの石。
全て穴が開いていて糸を通すことができる。


何かと思ったら、枕だった。
ちょっとかわいいでしょ?


アヒルの餃子。
なるほど、クチバシの形がアヒルだ。


船形の餃子。
中には宝袋のようにいろいろ入っている。


孫悟空の顔をした餃子。
具はちょっとピリ辛でおいしかった。

 

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